重政庸徳翁顕彰碑 清掃活動

昭和53年(1978年)11月、生地に近い神辺町天別豊姫神社境内に重政庸徳翁顕彰碑が建てられました。
隣には弟の重政誠之翁顕彰碑が並んで建っております。

この顕彰碑の設置には(株)六共も深く関わっており、建42年経っておりますが、設置に携わった者として清掃や付近の山の伐採をしております。

重政 庸徳

(しげまさ ようとく、1895年1月15日 – 1977年9月28日)
日本の政治家。元参議院副議長。衆議院議員の重政誠之は弟。正三位勲一等。

来歴・人物

広島県深安郡神辺町出身。広島県立福山中学(現広島県立福山誠之館高等学校)から第五高等学校を経て東京帝国大学農学部卒業後、1923年農林省入省。岡山農地事務局長などを歴任した後1953年第3回参議院議員通常選挙で初当選。1962年に参議院副議長に就任。

その後、参議院議員を三期務め1971年6月、引退。

1965年勲一等瑞宝章受章。1977年9月28日死去。享年82。

重政 誠之

(しげまさ せいし、1897年3月20日 – 1981年6月3日)は、日本の農商務官僚、政治家(衆議院議員)。従三位勲二等旭日重光章。参議院副議長を務めた重政庸徳は兄で、安倍源基は親戚。

来歴・人物

広島県深安郡神辺町に生まれる。広島県立福山中学(現・広島県立福山誠之館高等学校)、第六高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部を卒業後、1923年、農商務省に入省。
1952年の第25回衆議院議員総選挙に自由党公認で旧広島3区から立候補し初当選6期務める。農商省時代に、自民党で河野派(春秋会)に所属、派閥の金庫番あるいは代貸し的な存在となった。1962年、第2次池田内閣で農林大臣として入閣を果たす。

実霧が注目を集める中行1981年6月3日死去。享年84。墓所は青山霊園。元農林大臣重政誠之と顕彰碑が建っている。